文理のこうさてん

人文科学と自然科学のこうさてんを目指していきたい。

「意識高い」は思考停止ワードだと思うんだ

意識高いは思考停止ワードだと思うんだよな。 

 

「ヘえ〜意識高いね〜」って行ったら最後、その先のことは特に考えない人が一般的には多いと思う。でもそれって自分の世界を自分で狭めていることになるから、非常に勿体無い。

 

もちろん自分も最初の頃は意識高い人が苦手だった。大学に入学直後に学内であった院生に「君の軸は何?将来やりたいことは?」って初対面にも聞かれた時には、「こいつ意識たかいなぁ」って思って敬遠したことをよく覚えている。

 

けど、いざ意識高い界隈に入ってみた時、自分が今までみることができなかった景色をたくさんみることができて楽しかった。すごくプログラミングができる人、学生団体に全てをかけている人、インターンを頑張っている人、起業してる人などなど。みんなそれぞれ何かに向かって頑張っていてとても素敵で、自分の視野が大きく広がった。それと同時に自分も頑張らないとなとモチベーションを高めることもできた。特に今まで部活とかサークルとかに一生懸命になっていた僕にとっては、自分とは真逆の人たちと会うわけだから、ひときわ刺激は大きかった。

 

意識高い人の中にも高くない人の中にも、人間として尊敬できる人たちがたくさんいるんだけど、その人たちに共通していることって、何かに向かって一生懸命頑張っていることなんだよな。だから本質は同じだと思うのです。

人はみんなそれぞれ、打ち込むものがあって、形は違えど、その一生懸命な姿はとても素敵だと思うんです。

 

そういう人たちが各界隈にはいる。概してそういう人たちと話したりしていると、思わぬ発見があったり、自分ももっと頑張らないとなってなるから非常に良い。

 

もちろん異質な界隈に入っていくのは勇気がいることかもしれないけれど、それも最初だけだと思う。僕の場合は人脈とか一切なかったから、とりあえずいろんなイベントに行って、いろんな団体に入って、いろんなインターンをして色々学び取っていったわけだけど、最初は誰か仲が良い友達とノリくらいのテンションで入っていくくらいで多分良い。出会う人の質とかはイベントや団体によってかなり異なりが出るのでその辺の精査はきちんと行わないといけないが。

 

概して、自分の活動範囲を下手に狭めすぎない方がいい。特に若いうちはいろんな場所にいきやすいと思うし、失うものなんて何もないと思うから、色々なことをしたらいいと思う。自分の世界にフィルターをかけてしまうと、自分の人生の可能性が狭まってしまう。

 

意識高いっていう言葉だけで思考を停止しちゃいけない。意識が高いって思っただけで敬遠するのはもったいない。