文理のこうさてん

人文科学と自然科学のこうさてんを目指していきたい。

中途半端は無駄じゃないと思った話

自分の大学生活前半は、何もかも中途半端だった。

 

大学1年生の時は、パフォーマンス系サークルと模擬裁判サークルで活動しつつ、飲食店でアルバイトをして過ごした。

大学2年生の時は、サークルを一旦全部やめて長期インターンやビジネスコンテストに打ち込んだ。12月にはパフォーマンスが恋しくなって新しいサークルに入り直したりした。

大学3年生の8月までは、長期インターン短期インターンをしながらサークル活動を行なっていた。

 

結果、大学3年生8月時点の自分はいろんなことはしているが何もかも中途半端な人間だった。色々なことをやりすぎて結局何してるの状態になっていた。当時の自分は「あ〜自分いろんなことやりすぎて全部中途半端だ」って思って結構自己嫌悪になったことも多々あった。

 

大人の人に自分の人生を相談したりしても、「結局君何がしたいの、すごく中途半端じゃん」的なことを言われることがよくある気がする。

 

 

だけど、中途半端って悪いことなのかな?

最近は中途半端にもメリットが何かあるんじゃないのかなって思い始めている。

 

人生はきっと、二つの時期に分かれる

人生は大きく「収束」の時期と「拡散」の時期に分かれる。

 

収束の時期とは「何かに向かって脇目も振らず頑張っている時期」のことを指す。個人のキャパにもよるが、その何かは1つか2つになることが多い気がする。

 

この時期のメリットは、自分の実力がつくことだ。何かに向かって一生懸命にやっていれば自ずとその分野の能力は上がっていく。例えばそれがダンスサークルであれば、ダンスのスキルが上がるし、エンジニアのインターンならプログラミングのスキルが向上する。

 

この時期のデメリットは、視野が狭くなることである。収束の時期は自分の活動範囲が狭まるため、自分が所属しているコミュニティー以外の情報が入って来にくい傾向がある。

 

だから、一生懸命に頑張りつつ、定期的に外部の情報を収集することが大事になる。

 

 

拡散の時期とは、「いろんなことをして、ひたすらに自分の視野を広げる時期」のことを指す。この時期には人間は中途半端になりやすい。

 

この時期のメリットは、自分の視野が格段に広がることだ。なんせ中途半端にいろんなことに手を出しているのだから、いろんな情報が自分の中に入ってくる。その情報が深いものではないとはいえども、自分の視野は格段に広くなり、自分の選択肢の幅が広がる。

 

デメリットは自分の実力がつかないことと他者承認を得にくいことだ。前者に関して、自分の力をいろんな場所に分散しているので、もちろん深い実力が身につくことはない。後者に関して、これもコミット率の低さが影響しているが、いろんな場所に少しずつリソースを割いていると、各団体での自分の影響度が低くなる傾向がある気がするので、その結果、他者承認を得ることが難しくなる。

 

この時期で大事なことは、上記のデメリットを認識した上で、全力で中途半端になりきって、自分の視野を広げまくることだと思う。

 

全力で中途半端になること

大学卒業後に中途半端になることができる時期って実はあまりないような気がする。自分で人生設計をして、そのような時期を作り出す人は一旦置いといて、普通の人がそのようなことをするためには、一旦仕事を休職するとか退職するとかして長期休みを取るしかないじゃないかなぁ。

 

つまり僕が言いたいのは大学生活は、絶好の「拡散」の時期であって、中途半端になれるいい機会だということ。全力で中途半端になって自分の視野を広げる絶好のチャンスだということ。

 

今自分が中途半端でダメだとか思ってる人はマインドを切り替えたほうがいい。

 

 

一生懸命中途半端になって、自分の視野を広げていくこと。

 

 

そうしていれば少し先の未来、自分のやりたいことを考えるときに選択肢が格段に広がる。

 

その経験は、自分の後の人生にすごく活きてくるから、全力で中途半端になろう。